神と人
Posted on | 11月 19, 2000 | No Comments
あくまで個人的な考えであるが、宗教は嫌いだ。
まず大抵の宗教の教えの中には ”神に感謝し神を崇めよ”とある。
この教え自体が既に嫌いだ。
”神を崇めよ”=”俺様を崇拝しろ”的な気がして嫌なのだ。
自分は今、命が与えられて生きている事には大変感謝している。
そう、そんな事いちいち言われなくても感謝している。
感謝されるのが神という存在ではないだろうか?
なんかそんな教えがある神って、自分が崇拝されたいから人間を造ったみたいで嫌いだ。
ドラエモンの”ジャイアン”と共通する所があるような、、、(ジャイアンは嫌いじゃないけど(笑))
そして宗教の殆どは何らかのカタチで神に祈る。
何をそんなに祈る?
そして神に仕える事をさせようとする。
宗教についての勉強をさせようとする。
はたして神は本当にそんな事を望んでいるだろうか?
それなら最初から自分に従順な人間を造ればいい。
そうでないという事は、もっと自由に、あたえられた命を精一杯生きてよいのではないだろうか?
宗教に対しての研究や、布教活動などする暇があったら、もっと自分を生きろと嘆いてはいないだろうか。
何か困った事があった時、まず神に祈り、そして同じ信者に相談する。
そして神の名のもとに ”忍耐”する。
防戦一方になる。
ジリ貧である。
まず自分でどうすればいいかを考え、自分の力で状況を打開していくという事をしない。
自分で幅広く情報(宗教外の一般的なモノ)を集め、考え、その状況を打破しない。
反撃しない。
攻めない。
だからそういった状況を乗り越えた時の喜び、どういう過程で乗り切ったか等が自分に蓄積されず、ひたすらに平安だけを祈り求める。
どんどん弱くなる。
また宗教の殆どは自分の宗教以外の世界を”外界”としてしまい敬遠する。
故に視野が狭くなる。
オウム心理教等が良い(悪い)例だ。
宗教が元で戦争が起こるなんてのも全く持って馬鹿げた話だ。
もし神がいるなら、”戦争までするんなら俺なんて崇めなくていいよ”と言ってもおかしくない。
それくらいの器量は間違いなくあるだろう。
”戦争してでも俺様を崇めろ”なんて神は言語道断!!神失格である。
確かに自分の崇拝している神が馬鹿にされたりしたらムカっとするだろうけど、神としては、”たかだか人間の戯れ言など言わせておけ、そんな事で一々争うな”と思う筈。
それにしても、この ”視野が狭くなる”というのが曲者で、例えば、麻薬を否定する宗教をしている人は(当然法律的にも、健康的にも否定しなくてはならないが)、麻薬に関連する映画や書物には基本的に触れない。
これは非常にマズイ。
麻薬に対する実状の知識が入らない。
一つの宗教の中での麻薬の知識だけが植え込まれ、そのくせ宗教上で ”麻薬は危険だ”とあおられる。
片寄った情報と妄想が膨れ上がり、麻薬に関連する状況に陥った時、多角的な視野からの判断が出来ず、当然適切な手も打てない。
そしてまた同じ視野の狭い宗教従事者に相談するからもう全くもって泥沼状態である。
”触らぬ神に祟りなし”というのは分からんでもないが、個人的には ”虎穴に入らずんば虎子を得ず”派である。
現実の状況を知らずして正しい判断など出来よう筈がない。
仮に麻薬に関連した映画があったとしよう。
確かに、その映画を見なければ ”麻薬か?、ちょっとやってみようかな”という気なんて100パーセント起きないだろう。
”触らぬ神に祟りなし”である。
しかし、それを見る事によって、麻薬がどういうモノかを”世間の情報の一つ”として得る事が出来る。
また、その映画がもの凄くいい話で、それを見る事によって得られるモノが大きいのであれば、多少マイナスがあろうが、総合的には成長する。敬遠してしまえば何一つ成長はない。
宗教がダメだとは言わないが、自分の色々な世界の一つとして持つくらいの方がよいのではないだろうか。
神は人間の中で何があろうと助けない。
助けなくてよいのだ。そこに神が人間を造った真意があるのではないだろうか。
人は困難な状況に陥った時、また、何か事を成し遂げようとする時、今、自分が何をするべきかを考える。
自分が置かれた状況下でいったい何をすればよいのか。
そして、努力に努力を重ねる事で数々のドラマが生まれる。
そんなドラマを神は見たいのではないだろうか。
そして、事を成し遂げた人間から、命を与えた事を心から感謝される。
これぞ神冥利に尽きると言うものではないか。
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